須弥山(しゅみせん)の頂上に住むという帝釈天(たいしゃくてん、Indra)の宮殿の大広間に張りめぐらされている羅網(珠玉を連ねた網)をいいます。
網の結び目に珠玉(しゅぎょく)がつけられ、珠玉の表面は鏡のように反射し,それらが互いに映じ、映じた玉がまた映じて無限に反映し合う重重無尽(じゅうじゅうむじん)の様相のたとえとされています。文献(1)
文献2で指摘しているように、インドラのネット(網)は現在のインターネット社会によく似ています。一人が情報を発信すれば、一瞬にして世界中の無数の人に伝わる、まさに一即多の世界です。そして個々の無数の意見が交わされ、それらがいくえにも重なり反映し、新たな思想を誘発し、社会全体も自己も変貌していくのです。
このインドラネットによる珠玉間の相互反射、すなわち合わせ鏡の相互反射の様相は、電脳で生み出す「華厳経の風景」の基本原理でもあり、華厳の宇宙へ思いをはせるための実践的な方法かもしれません。
パキスタンやインド北西部を中心とした民族伝統工芸に、無数の鏡を散りばめたミラー刺しゅうがあります。
またインドの北西部のラバーリ族は、ヒンズー教系の遊牧民ですが、広大な砂漠の中に円錐形のわらぶき屋根と円筒形の真っ白な土壁の家に住んでいます。家の中の泥壁には、鏡が無数に埋め込まれているとのことです。
これは夜にランプを一つ点ければ、無数に反射して部屋中が明るくなるという理由のようです。これはまた神は唯一だが、万人を一人一人もれなく照らし出し、各人の心の中で無数になるというヒンズー教にあい通じる考え方だそうです。(NHK取材班:「NHK 世界手芸紀行C」、日本放送出版協会、1990年)
華厳経における重重無尽の意味は、この因陀羅網での光の多重反射による比喩で説明されるものが主たる解釈のようです。この解釈で十分なのですが、華厳経の重重無尽の現代における意義を誰にでもわかりやすく明らかにするためには、さらにいろいろな視点から解釈したほうが良いように思われ、今後はこれを追求するとともに、電脳が生み出す画像の原理となるフラクタルとの関連性を徹底して検討していく予定です。