如来蔵(にょらいぞう)思想

如来蔵思想

いままで展示した画像のように、電脳の数学的領域に美しい花が咲くということは、科学的知見からも不思議なことに属するものと思われます。

このことに関連して、華厳経に照らし合わせると、「宝王如来性起品(ほうおうにょらいしょうきほん)」の記述が対応すると思われます。

この世に存在するすべてのものには、本来仏性をそなえており、清浄(しょうじょう)や慈悲を意味する美しい花園を自らの内に秘めていると、華厳経は説いています。しかしながら、いつも煩悩にあけくれている凡人には、これを発見(智見)することはできず、まったく気づいていないのです。

まさに「奇なるかな、奇なるかな」なのです。

そこで毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)は、一切のもののすみずみまで光明を放ち、凡人の無明を払い菩提心をおこさせ、いたるところに蓮華蔵世界のような美しい花園を見つけることができるように、働きかけをなされていると説かれています。

そしてこの美しい花園の主要な論理構造は「十玄・六相」に対応するものと考えられます。これは花園を見出すための道標となる概念で、これをよりどころに自然科学の基本システムとしての電脳空間で探索し、「華厳経の風景」を実現したのです。

善知識を潜在的に内蔵しかつ煩悩をもたない電脳の世界を、私が旅をして美しい花を探し求めているのも、善財童子とまでにはいかないまでも、少しでも無明・煩悩の世界から離れられたらということと、そしてこの花の風景によって華厳の世界により多くの人が興味を呼び起こしてほしいという願望からです。