私はクレーに関して詳細に研究した者でもなく、HPでの一連の考察の成り行きからクレーに大いに興味を持ち、「造形思考」の本を含め一般の図書館で見られる本からの感想です。
前回考察しているようにクレーの考え方は、何故か、仏教思想にきわめて近いのです。クレーについての私の印象は、前回クレーの言葉として最初に引用した(1)に尽きると思っています。ここで再度この言葉を仏教の視点から翻訳してみましょう。
アングル(画家)は静止を秩序づけた、を「定常」の美は過去のもので、と訳し、パトスを越えて、を人間の内面下の本能(まな識)を越えて、と訳し、運動を秩序づけたい、すなわち「無常」の美を追究したいと述べているのです。 このクレーの言葉(1)は、日本の「いろは歌」の意味と同じなのです。いろは歌は平安中期の作といわれ、「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為(うい)の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず」と解釈されています。
ヨーロッパでのクレーの時代は、フロイトやユングの心理学の時代でもあり、無意識(深層意識)を芸術の創作に如何に活用するかが話題にのぼっていたのです。無意識で一般に知られているのは「本能」とか「夢」なのですが、クレーは、これを越えて、冷静に無意識を覚(さ)めた目で見つめようとしたのです。これはまさに仏教でいう「覚り」の境地と言えるのでしょう。
なお、覚めた目で見つめるということは、科学的な視点で見るということでもあり、クレーは自然界の力学的な挙動や人間の精神を科学的に捉えたいということにも解釈できるのです。
以下前回に引き続き、「造形論の概念」の章について考察します。
「1.永遠の博物史」では、宇宙の秩序の対立概念としてカオス(無秩序)を想定しています。ただし本来の真のカオスは、秩序と無秩序の中間に位置するものであるとし、次のように記しています。
(10)『無と名づけることもできれば、なにかまどろんでいる存在とも名づけられる。死、あるいは生誕と呼ぶこともできよう。つまり、人間の意志に重点を置くか置かないかによって、意志が支配するか意志がないかによって、いろいろ呼び方は異なってくる。』
これも仏教でいう「空」とか「無」をどう解釈するかに関わることで、これらを「有」のきざしの兆候と見る「真空妙有(しんくうみょうう)」であるかどうかということなのです。そしてこの象徴的な色として、白と黒との中間の灰色を挙げています。
この中心的な灰色すなわち「真のカオス」とか「無」を、あらゆる次元へ放射する原点として、次のようにも言っています。
(11)『ひとつの点を中心的な価値にまで高めることは、宇宙発生の契機を意味する。あらゆるものの始まりという考え(たとえば生殖)、もっと巧みな比喩を用いれば、卵という概念は、この過程に相応する。』
約一年と三ヶ月以上前の考察ですが、「「無」から「有」を生み出す東洋思想」のテーマでの鈴木大拙の「無分別の分別」とiPS細胞との関わりについての考察で、「無分別」すなわち「無」が「受精卵」に対応することを図示しています。これから見てもクレーの考え方はきわめて新鮮なのです。
「2.反対概念のない概念は考えられない/二元性を統一として扱うこと」では、さらに考えを発展させ、次のように言っています。
(12)『対立するものの位置は固定したものではなく、両者の間は流動する運動だといってよい。固定しているのは、ただ一個の点、中心点だけであり、種々の概念は、そのなかにまどろんでいる。』
二元論で重要なのはその両端ではなく、重要なのは両端の間の運動の過程から生ずる種々の概念であると明言しているのです。
一般の日本人が抱いている西洋人は、二元論的な考えをし、白黒つけたがるという思いが多いのですが、1920年代にクレーが上記のような講義をしていたことに、少なくとも私には驚嘆に値することなのです。
このHPでも以前詳細に考察していますが、上記のような考えは、ナーガールジュナの「中論」の思想「不生不滅」の適切な解釈であろうと私は考えています。クレーはこの後で、『加えて形態はより生きたものである。形態は、むしろ根本に生きた機能を有するフォルムである。』と言って、生きているような機能をもつ形態を造形することが重要なのであるとしているのです。
かなり以前に、カオスからの覚醒についての考察で、仏教学者である鈴木大拙(1870〜1966)が鎌倉の東慶寺での「混沌」についての講演で、カオスの話をしたという記事について触れたことがありました。
おおかた同じ年代に、クレーはドイツで、鈴木大拙は日本で、カオスの講義をしたのです。どちらがレベルが高かったかという話ではないのです。
ここで私が声を大にして言いたいことは、クレーのバウハウスでの講義は、過去の仏教についての話ではないということです。バウハウスのモットー(標語)は「芸術と技術の融合」なのです。すなわち生徒は芸術家や物づくりの技術者の卵なのです。いうなれば、文系と理系の専門の学生を相手に、当時のあるいは将来の芸術や技術が「如何にあるべきか」を究明するための基礎概念として、上記のような考え方を話したのです。
しょせん、東慶寺での大拙の講義は、仏教関係者を前にしての、過去の仏教とは何なのかの話なのです。
日本において、追いつけ追い越せの明治時代ならいざ知らず、現代において、文系と理系を分離した教育のみで、豊かな人間や人間社会が築けるのでしょうか、私はきわめて大きな疑問を感じています。
クレーは画家になる前はヴァイオリンを演奏する音楽家だったのです。両親はそろって音楽家であり、特に父ハンスは音楽教授でした。また妻リリーはピアニストで、クレーの修行時代はクレーを支えていたといわれてます。
世界でパウル・クレーほど、音楽と絵画との相関関係を追求し、成果をあげた人はいないともいわれています。
クレーが「運動」にこだわった理由の一つに音楽があるのです。音楽は一曲を演奏するのに時間を必要とするのです。運動とは、時間の経過につれて、その空間的位置を変えることなのです。
「3.フォルムの発生 すべての生成の根底には運動がある」の項や「4.造形は運動と結ばれている」の項でも、「形」と「運動(時間経過にともなう変化)」とは密接に関係していると言明しています。
クレーが思案したのは、この時間のかかる音楽を、一枚のカンバスの上に表現するにはどうするかということと解釈もでき、あるいは、音すなわち見えない波の振動を、如何に人間の目に『見えるようにする』かということとも解釈できます。
そしてクレーが長年思案したあげく、最終的に導き出した結果が、音楽用語でいう「対位法」とか「ポリフォニー」という手法の応用なのです。
以下このクレーの考えの原理を詳細に検討します。
パウル・クレーは「造形思考」の(下)で、『振り子は、小さいが非常に意味深い道具である。』と振り子の挙動について詳細な考察を行っています。すなわち自然の根元的な運動には、大気の流れや重力などが存在するのですが、錘(おもり)を糸で釣り下げたときに、その空間内に働く(作用する)力によって、錘の動く軌跡が描く形象について、詳細に考察しているのです。
このクレーの地道な実験を、科学の視点で解釈したら何を意味するのでしょう。これはクレーとほぼ同年代のドイツの物理学者K.F.ブラウン(1850〜1918)の発明したブラウン管の原理と同じなのです。
ブラウン管の機能を簡単に説明すると、電気信号すなわち電気の波の流れを、人間の目に見えるように平面上の光の像に変換することなのです。これがクレーの有名な言葉『見えるようにする』ことの科学的なプロセスなのです。
我々も2〜3年前までは、このブラウン管でテレビを楽しんでいたのです。これは、音も同様に波の振動の流れですから、音楽から絵画え変換する機能でもあるのです。この機能を振り子を用いてもう少し具体的に説明します。
振り子の錘の動きの軌跡が平面上で任意の形を描くためには、空間内で錘に水平に作用する力は、360°の各方向にわたって無数の力を必要とするのですが、これらの力は、最小限二方向の互いに直角な力の大小で表現できるのです。
クレーの本(下)にも『力の平行四辺形』ということで、考察が行われています。すなわち音楽の波形から、何らかの形を生み出すには、最小限二つの音源を必要とするのです。
私はこれをクレーが編み出した、音楽用語としての「対位法(西洋の多声音楽において複数の独立した旋律を同時に組み合わせる作曲技法、ポリフォニックな作曲技法)」に相当する造形技法と解釈しています。そしてこの錘の動きの軌跡は、クレーの線描の一筆書きそのものなのです。
ブラウン管は、初期にはオシロスコープという名で電気の振動波形の観測装置として利用されたのです。これはブラウン管の電子銃から発射された電子を、X軸、Y軸方向にそれぞれ与えられた電気の振動波形に応じて偏向させ、この電子の蛍光面での衝突で光の軌跡を描かせるのです。この図形を「リサージュ図形」といいます。
現代では、このリサージュ図形を描かせる機能は、電脳を用いれば簡単にシミュレーションすることが出来ます。
下図(図1)の(a)は、クレーが1934年に制作した「嘆き」という題の絵の線描による一筆書きの部分の形態です。そして右側の(b)は、(a)の形態を2つの波形すなわち時間に対する波の高さの変化のグラフに変換したものです。ここで(b)の波形のそれぞれは、数学用語でいう「フーリエ変換」を実行すると、関数すなわち数式で表現できるのです。
これは線描画の輪郭線は、どのような形でも数式で表現することが出来るという意味です。
現在、世の中で知られているあらゆる関数を用いて、無数のリサージュ図形を描かせることは、電脳を利用すれば、朝飯前なのです。
下図(図2)は、このほんの一例で、三角関数をいろいろと組み合わせた関数によるリサージュ図形です。
このような図を無数に用意し、辞典のように系統的に整理しておくと、何らかのイメージを、「見えるようにする」ときに役立つと思えるのです。
電脳によるグラフィックスで最も得意とするところの一つは、色彩の透明度を任意に変えることによって、複数の画像を重ねて同時に表現できることなのです。これは形態ポリフォニーでもあり色彩ポリフォニーでもあるのですが、クレーはまさにこれを先取りしているのです。
クレーの作品における「ポリフォニー」という思想は、多くの事物が互いに妨げ合うこともなく、調和して共存する秩序の世界であり、これは仏教でいう「華厳経」の世界でもあるのです。
これを科学的に解釈するとフラクタル幾何学すなわち自己相似集合図形とも言えるのでしょう。クレーの作品には、矩形の要素の集合で表現されているものも多いのですが、これらは自己相似集合図形として表現することが可能のものも多いのです。
下図(図3,図4、図5)は電脳が生み出した自己相似集合図形で、クレーの作品の雰囲気に近いものを示したものです。
「6.内的なものにもとづいて探求した自然の事物」の項を少し詳細に考察します。この最初にクレーは次のように記しています。
(13)『一方に偏することなく、厳正な態度を固持しようと思う。それは容易なことではないが、しかし、断じてこの態度は守らねばならぬ。知識はでき得る限り正確でなければならないが、想像力は欠くべからざるものだ。
わたくしたちの求めるのは、フォルムではなく、機能である。わたしたちはここでも正確さを求める。』
内的なものにもとづいて、独自のフォルムを生み出すのですが、このとき自然科学的な視点、すなわち機能が最も重要であるとしているのです。
クレーはきわめてクールでかつ厳格な人で、人間の精神だけで作品を生み出すのではなく、そこに自然科学(自然の造形のプロセス)としての裏付けがないといけないと言っているのです。
この理由は、クレーの世界観にあると考えられ、芸術家と作品は一体であり、前回の引用の言葉(5)のように、「人間は自然の空間内の一片の自然である」という信念を持っているからです。
人間の無意識(深層意識)は、ほ乳類誕生以来延々と育んでくれた自然の影響を絶対に無視することができないことを、クレーは覚(さと)っていたのです。人間の心を唯一のよりどころとする芸術家が多いなかで、パウル・クレーは、高いレベルの科学的センスと哲学的センスを持ち合わせた芸術家と言えるのでしょう。
二元論すなわち善と悪とか、美と醜とかなどは、人間の歴史的経緯にともなって人間の心によって定められたと考えられますが、それではこの善とか美を採用すれば、これが真実なのでしょうか。クレーは、二元論の一方に偏ることなくこの中間の過程こそが真実であると明言しているのです。
真実とはあるいは芸術とは何なのかを追求するのに、人間の心を唯一のよりどころとするのは、矛盾というか、公平ではないのです。心以外のもう一つの柱すなわち対立概念を立てる必要があるのです。
普通、哲学的(弁証法的)には、対立概念として、その否定概念を立て、すなわち人間の心を完全に否定して、いわゆる「無」という状態から何らかの創造的な事物を生み出そうとするのです。
しかし、いずれにせよ両方とも、人間の心が関与しているのです。したがって、これは凡人にはきわめて難しいことなのです。
しかるにクレーは、人間の心に対するもう一方の概念として、自然の摂理を採用したのです。自然の摂理とは現代風にいえば自然科学のことです。
すなわちクレーは、「人間の心」と「自然科学」とを二元論として、その中間の過程で生み出される概念が、真実あるいは芸術のあるべき姿であると結論づけたのです。そしてこれがドイツのバウハウスのモットーでもあるのです。
文系と理系の融合こそが、人間をより豊かにする道であると私も思っています。いわば、クレーのすばらしいところは、この「文系」と「理系」を二元論として捉え、これを統一することに徹したことなのです。
最後に、クレーの考えが仏教思想に近かいことについて考察しておきます。ここでいう仏教思想というのは、当時の一般の東洋人の仏教観ではなく、クレーと同年代の鈴木大拙や哲学者西田幾多郎(1870〜1945)と同程度のレベルの高い思想のことなのです。
実は、西田幾多郎の「善の研究」での「純粋経験」から、その後の「行為的直観」までの発展には、芸術学の創始者といわれるドイツのコンラート・フィードラー(1841〜1895)の影響を受けているのです。
当然クレーもフィードラーの影響を受けていると思われ、クレーがバウハウスで「造形思考」の本にあるような詳細な実験を、繰り返し繰り返し学生に実習させたのは、まさに西田のいう「行為的直観」」の実践なのであって、実験という行為を通して、美的直観を深層意識から導き出す方法を修得させることにあったのでしょう。このことは、「8.芸術領域における精密な実験」で記されています。
無「本質」的分節の唯一の方法は、「純粋経験」に端を発して、「行為的直観」すなわち実験をすることで何らかの直観を得るということなのだろうと私は考えています。
なお、西田幾多郎が共感するような思想の根源が既にドイツにあったということです。クレーにとって、仏教思想であろうとなかろうと関係のないことであって、日本人の視点で、クレーの考えは仏教思想に近いなどと言うことは、差し出がましいことなのかもしれません。ただし、クレーの作品を日本人が愛好する理由にはなると思われます。
私の驚きと感動は、「東洋の叡智」に匹敵するような思想が、とっくの昔に、西洋で生き生きと息づいているという発見だったのです。