電脳とのコラボによる無「本質」的分節の世界〜新たな抽象への模索
電脳とのコラボによる無「本質」的分節の世界〜新たな抽象への模索

まえがき

2005年1月からブログで「新しい趣味の創作」というテーマで連載を始めたのですが、2007年以降は、この掲載がおろそかになってしまいました。この理由は、2005年5月から新たに立ち上げた「華厳経の風景」のほうに興味が集中したからです。

当時、これから進めていこうとする電脳を活用した「新しい趣味の創作」の企画において、趣味となるであろう何らかの美しい形象を生み出していく過程を暗中模索している時に、これは仏教思想でいう「悟り(覚り)」のプロセスに似ているのではないかという、淡い予感が生じたからです。

以後、「華厳経の風景」以降での考察は、おもに仏教思想をより現代的かつ哲学的に解釈している鈴木大拙や西田幾多郎の文献に挑戦し、複雑系の科学と対比することで、いろいろな考え方を現代感覚で理解することができました。 特に大拙の「無分別の分別」、西田の「行為的直観」の概念はその後の考察の進展に大いに役立ったのです。

このような経緯をたどった結果が幸いして、最後に広域的な東洋思想についての井筒俊彦の文献に遭遇し、とくに「意識と本質」での記述の中の無「本質」的分節の世界が仏教でいう「悟り(覚り)」のプロセスであることを十分に理解できたのです。

そして前回までのテーマ「「無」から「有」を生み出す東洋思想」において、この予感が適切であったことの明確な考察ができたのです。

ブログ「新しい趣味の創作」の「新しい趣味」とは、生け花や俳句のように、「花型」や「五七五」を定型とした枠組みの中での、深層意識に感応するような無「本質」的分節の仕方を発見することであるのと同様に、電脳という枠組みの中での深層意識を感応するような無「本質」的分節の仕方を発見することなのです。

「新しい趣味の創作」では、「花のようなもの」をおもに発見することにしたので、現代版プラントハンターになることでした。ただし現時点においては、特に花にこだわる必要はなく、深層意識に感応するような創造的な事物であれば、それなりに価値が生まれると考えられます。

そこで、今までの「新しい趣味の創作」の掲載を生かすように編集をあらためて仕直し、今回からは、上記題目のようなテーマで以後考察をしていきます。

2012.9.2