インターフェイスという概念(文章)

「インターフェイス」を直訳すると「相互に作用する面」ということになりますが、華厳経を勉強して、最も印象に残った概念の一つに「即」があります。即ち「相即・相入」の概念です。今回と次回はこれに関する感想を記したいと思います。

文献(1)の項目で「関係の基本的構造」及び「相即・相入の構造」の要旨を断片的に引用させて頂きます。

「「十玄門」を了解するためには、関係という内容を理解しなければなりません。・・・関係するあるもの自身の中に、そのものとしての性質だけでなく、他のものと関係することができる性質も存在していて、はじめて他のものと関係することができるのです。・・・

・・・一つは互いに異なるもの同士の関係(異体の関係)と、もう一つは関係を結んでいるある一つのものの中での多様な要素の間の関係(同体の関係)、を考え、その両者があいまって関係が成立すると見るのです。・・・

もう一つの視点として、作用において関係しているという面(用の関係)と、存在そのものにおいて関係しているという面(体の関係)と、その二つの面を分けて見ていくということです。・・・

関係する世界とは、その各々には「有」の面と「空(無自性)」の面があります。・・・あるものを有の面で見るなら、そのあるものがあって、他との関係が成立しているのですから、そこで他のものは無自性・空という性格が前面に出てくることになります。こうして他のものは無自性ですので、あるものに全面的に即する(一つになる)ということになります。・・・」

これら相即・相入の概念のほか以後、一即多・多即一や一中多・多中一の概念が記述されていますが、ここでは省略します。


以上これらの概念は、現代の電脳の世界でも通用するのです。電脳は種々の機能(作用)をもったシステム(体)の集合体として機能します。ここである機能をもったシステムは、その機能のみを実行するだけでなく、他のシステムの機能と接続(即)するためのインターフェイス(ある機器が他の機器と情報のやりとりをする時、それぞれを接続する部分のこと)という機能を備えもっています。

これによってあるシステムの機能が作用している間は(有の状態では)、これに他のシステムの機能が影響を及ぼさないように、他のシステムの機能は停止しており(無自性の状態になり)、逆に他のシステムの機能が作用している時は、あるシステムの機能は停止しているのです。

この原理をもう少し具体的に説明しますと、スイッチングの機能に相当するもので、二つのシステムが融合して礙げあうこともなく作用するためには、あるシステムあるいはその機能がオン(有)の時は、他のシステムあるいはその機能はオフ(無自性・空)になるよう動作させることなのです。

これらは異体における相即・相入の関係に対応し、また電脳という全体を中心として考えるなら、同体の一即多・多即一とも考えられます。

特に電脳の中枢部ではCPU(中央処理装置)という一つのシステムがあって、その中で数多くの機能が、互いに礙げあうことなく順次プログラムに従って作用するのです。これはまさに同体の関係、一中多・多中一の概念です。

以上電脳が他の一般機械に比較して、フレキシブル(柔軟で融通がきき自由自在)であるのは、この為なのです。同様に無数の電脳が接続されているインターネットの世界でも、何の混乱もなく特定の電脳の間で相互通信が行えるのは、スイッチングによる有と無自性(空)との切り換えがあるからなのです。

このように「相即・相入」の概念は、現代のインターフェイスの概念そのものであり、現代のハイテクにも対応できるのです。

2006年も残るところあと24時間で終わります。