「彼岸」/マンデルブロー集合

彼岸

今までは主に幾何学的な自己相似集合と、仏教思想との関連について考察を行ってきましたが、これからは「華厳経の風景」により近く、より複雑なマンデルブロー集合についての考察を行います。

さて、今回の展示画像は、電脳三昧から生み出されたものではなく、既に一般に知られている画像に少し手を加えたものなのです。これは「フラクタル」の概念を明らかにし、この命名をしたベノア・マンデルブローを紹介するときに用いられるマンデルブロー集合を図に表示したものなのです。以後これが何なのかを説明します。

「彼岸」は龍の挙動の転換点

広辞苑(第五版)によると「彼岸」とは仏教用語として @「生死の海を渡って到達する悟りの世界」とか B「春分・秋分の日を中日として、その前後7日間」とあります。

一方、中国最古の部首別字書「説文解字」には「龍は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む」と記されているといわれています。このイメージとしては、妙心寺法堂の天井の雲龍図のように視点によって昇り龍とも下り龍ともなる龍の挙動を表しているのでしょう。すなわち春分には天に昇り、春から秋までは雲を起こし雨を呼び天空を広範囲に活動し、そして秋分に地上に下り、秋から春までは湖沼に潜み、エネルギーを充電しているのです。この龍の挙動はまさに螺旋における「発散」と「収束」を意味するように思われます。

ここで龍の挙動を季節によって分類しますと、「発散の領域」と「収束の領域」とがあって「彼岸」はその境界に位置するのです。

複素平面上での「発散」と「収束」との分布地図

ここで話をマンデルブロー集合にもどします。「重重無尽が行き着く世界」で説明したように、非線形性の強い漸化式を用いることによって、 決定論的カオスを発生することができます。マンデルブロー集合は、 漸化式(1)を用います。 ここでZnとC は複素数です。また初期値 はゼロです。

彼岸

この結果(2)のような数列ができます。そしてこの数列の数値は複素定数Cの値で定まります。いまこれを(3)式のように表します。すなわち横軸(実軸)CRと縦軸(虚軸)CIの複素平面上にCを表現することができます。

上記の数列の値 Znは、Cの値がある程度大きければ、nを増すに従ってどんどん増大し、すぐに無限大になる(発散する)ことが考えられ、また小さいとある一定の値に収束するのです。この場合無限大などとあいまいな定義はせず、繰り返し回数nのときの Zn の値がある一定値(通常2)より大きくなったときに発散したと判定します。また繰り返し回数nもあらかじめ100 回とか 200 回と限定してその範囲内で判定します。

いま横軸を - 2 < CR < 0.8 , 縦軸を - 1.4 < CI < 1.4 の範囲の複素平面の全域のCの値のそれぞれについて、電脳で計算させ、発散する場合と発散しない場合とを調べます。このとき発散するCの値の位置は白色でプロットし、発散しないCの値の位置は黒色でプロットして、複素平面上での発散するしないの分布地図を作成したのが下図です。ここで黒色で表示されている発散しない領域がマンデルブロー集合なのです。

彼岸

多分みなさまは、何でこんな奇妙な形の分布地図を作成する必要があるのといぶかしく思うでしょう。実はこのマンデルブロー集合である発散しない黒の領域と、発散する白の領域との境界の近傍は、私もまだ理解してないのですが、無限の創造を生み出す潜在能力をもつ何か(龍)が潜んでいることは確かです。試しにこの境界の近傍の一塵あるいは一毛孔の微小領域を拡大して上記の要領で分布図を作成したら、宝石の首飾りのような画像がざくざく出てくることは既に多くの先人によって実証されています。

「彼岸」はマンデルブロー集合の立体的地図

さて、「彼岸」には「波羅密(はらみつ)」の漢訳といわれる「六波羅蜜の行が修せられることによって彼岸に到る」という意味もあります。展示画像は実は「彼岸」をイメージしたもので、このアイデアは、文献(3)の表紙の装飾画を見てて気が付いたのです。上記のマンデルブロー集合の図は複素平面上に描いた地図で二次元なのですが、展示画像は簡単な立体図なのです。高さ方向のデータとして、発散すると判定されたときの繰り返し回数nの値を採用し、またこの値に応じて色分けし、 立体的に見えるように横軸を50°回転しています。このような三次元表示をした例は、合原、黒崎、高橋 「神はカオスに宿りたもう」((株)アスキー, 1999年8月)に既にあります。

この展示画像のイメージは、波立った理性の海から、般若の場へ到るためには、その境界に立ちはだかる断崖絶壁を飛び越える必要があり、大いなる修行を必要とすることを表現したかったのです。この断崖絶壁で囲まれたマンデルブロー集合の領域は、 静かで澄みきった紺碧(こんぺき)の湖面を呈しています。

これに関し、前回引用した「創造」についての鈴木大拙の記述(「禅の研究」 4.仏教哲学における理性と直観) の少し前の個所に次の記述があり引用させていただきます。

「・・・・ 理性から般若ということは、一つの連続、又は一すじ道の発展ではない。もしこの両者が平坦な連続で繋がっているのなら、般若は般若でなくなってしまうのだ。それは理性の形が少し変ったものにすぎないわけだ。理性と般若、その間には深い谷がある。 断絶されているのだ。 この谷、それはただの歩みを進めているのでは決して越えられないものである。そこに飛躍が必要なのだ。この飛躍は即ち「実在的飛躍」である。理性は思惟(しい)する。 般若はぢかに見る。 ・・・・」

理性と般若の境界が「彼岸」なのです。 波立った理性の海から断崖絶壁の「彼岸」に到るには「飛躍」が必要なのです。仏教哲学では「超越」とか「飛躍」という言葉が多々出てきますが、これらの言葉のイメージを体験できます。般若の場は理性で考えてもらちが明かないのです。 直接体験しなければならず、この意味から 電脳(カオスの発生・イメージ表示)+人間(直観) の「電脳三昧」が最も効果的な領域なのです。

西方の海に浮かぶ「ひょうたん」形をした孤島、その沿岸は全て断崖絶壁で囲まれているのです。そしてこの彼岸の近傍は「創造」の宝庫なのです。まさに「ひょうたんから駒」で何が現れるかわからないのです。多分、 駒は駒でも「飛車」でしょう。相対する境界(彼岸)を飛び越えて「龍」と成るのです。蛇足ですが、これは単なる「落ち」ではなく、「相即・相入」の概念( 「般若即非の論理」)をいいたかったのです。

2007.5.14
(追記)

この展示画像のような彼岸の周囲をとりまく針の山のような断崖絶壁は、現実世界には存在しないと思っていたら、実際にありました。2008年5月31日「テレビ朝日」で夜9時から放送された「空から見た地球」で見ることが出来ました。

場所はアフリカ大陸の南東部、マダガスカル島の「ツインギ」大地です。「ツインギ」とは「鋭くとがっていて動物の住めない土地」という意味だそうです。この「ツインギ」大地は、前は海底でその石灰石が雨に浸食されて形成されたもので、約1億5千万年の歴史をもつといわれ、世界自然遺産だそうです。案内役の高橋克典が現地でロケーションをしてますが、垂直に立ち上がった岩石が林立し、高いもので100mの高さがあり、まさに断崖絶壁でありました。

2008.6.1