空海密教のカオス的世界観(文章)

前回の虚空蔵求聞持(こくうぞうぐもんじ)法で、「真言」の意味について考察をしている過程で、「私にとってこの漸化式は、真言と大差はないのです。ほとんど意味の分からない簡単な漸化式の計算を電脳で無量にくり返すと、「華厳経の風景」のような画像が生まれるのです。」と書いたのです。

このことが、それ以後も頭から離れず、そこで空海の真言密教と決定論的カオスとの間に、何らかの共通点がないものかと、いろいろ調べてみました。 そして一応自分なりに納得できる結果を得ましたので、ここに報告します。

ただしこのような突飛な考察は当然、従来の通説を少し逸脱することになりますが、もともと「華厳経の風景」自体、このような立場のものですので、おおめに見て下さい。

ここで参考にした空海の思想についての文献は、梅原 猛 著「空海の思想について」(講談社、1980年1月、講談社学術文庫)です。

五大(ごだい)と決定論的カオス

五大は、万物の構成要素である地、水、火、風、空をいうようです。五大についての通説は無視して、私なりにイメージします。地は地面や太陽系としての地球、水は海や川、火は火山や地下のマグマで、熱がイメージできます。風は気流や気象、空は宇宙を含む天空や空気です。以上のように五大は宇宙をも含む地球上の自然、すなわち大自然がイメージできます。

さて話は飛びますが、ここで決定論的カオスの現象の主な発見の歴史を少し紹介します。

最初にこのカオスを発見したのは、1889年にポアンカレ(仏)で、天体運動の三体問題を解く過程で、カオス現象を発見したと言われています。すなわち太陽と地球のみを考えるように、他の惑星から受ける引力を無視して、二つの天体だけが関係する運動(二体問題)は正確に計算できるのです。三体に関係する運動になると、その軌道が不安定になり、運動が複雑になる事を発見したということです。すなわち太陽系の軌道は常住ではなく、無常なのです。

次に有名な発見は、1961年に気象学者ローレンツ(米)が、天気予報のための空気の流れの現象モデルの電脳による計算過程で、カオスの特徴である「初期条件に対する鋭敏な依存性」を発見したと言われています。これは計算に必要な最初の出発点における条件のきわめてわずかな差でも、その後の時間経過にともなう計算結果において、これが大きく影響を及ぼすということです。現在でも中・長期の予報は正確にはできないのです。

次は今までも何回か取り上げていますが、1975年にマンデルブロー(米)は、カオスに関連したマンデルブロー集合という図形を電脳で初めて描き、そこから導かれる自己相似性をもつ幾何図形を「フラクタル」と名づけ、これが自然界の複雑な形状、例えばリアス式の海岸線、雲、樹木などを扱うための基本的な性質であることを発見しました。

以上の決定論的カオス現象の発見の歴史からもわかる通り、大自然と密接な関係があるのです。だからといって大自然が全てカオス(無秩序)ではありません。大自然はその摂理によってそれぞれある程度の秩序で保たれており、カオス(無秩序)はその秩序の中にひそんでいるのです。すなわち大自然は秩序と無秩序の中間的なものといわれ、仏教の中道という概念に似ています。空海の思想についての梅原先生の文献にも、龍樹の主張として、『世俗でもなく、非世俗でもない・・・中の道を歩め』と記述されています。

そしてこの領域が、人間の心により芸術的(美的)な感動や安らぎを与えるのです。

以上の考察から、空海が「即身成仏義の偈(げ)」でいう「六大無礙(むげ)にして常に瑜加(ゆが)なり」の解釈は次のようになります。

「大日如来を中心にした諸仏と一体化するには、太陽系を含む地球上の自然と一体化することであり、この大自然と一体化するには、大自然の秩序の中にひそんでいるカオスの美を発見し、それを全身で感応し、心を安らかにして大自然と融合することです」。

また曼茶羅に関しても、今までも何回か考察してますが、秩序と無秩序のはざまで生ずるフラクタル(自己相似集合)によって形成されたもので、全体(大日如来)と部分(自己)の融合を表現しています。

これは第四句の「重重帝網」の個々の宝石の光の反映の様相を、電脳でシュミレーション(模擬実験)したとき、フラクタル図形が生まれることからも明らかです。

空海密教の表現的世界

密教では梵字(ぼんじ)の最初の阿(あ)字を根源的存在として、阿字観という観想法がありますが、空海は梵字の最後の吽(うん)字から真言秘密の教義を説明しています。以下空海の書「吽字義(うんじぎ)」についての梅原 猛先生の解説の前半の一部を断片的に引用させていただきます。

『吽字は四字からなると空海はいう。 訶(か)字と阿(あ)字と汙(う)字と摩(ま)字とである。・・・訶字は因縁を表す言葉である。訶字をみれば、一切の存在はすべて因縁より生ずることがわかるという。ところが訶字の中に阿字が含まれるが、この阿字こそは「一切字の母、一切声の体」であり、従って「一切実相の源」であるということになる。・・・そして汙字は「一切諸法の損減(そんげん)の義」である。・・・摩字は我(われ)の義である。・・・それはすべて、汙字と反対に増益の相である。・・・

訶字、すなわち、因縁という時限の軸をさかのぼるとき、必ず、阿字という根本存在にぶつかる。そして逆に阿字という根本存在は、訶字という時限の軸を伝わって、われわれの前に現出している。

もう一つは汙字と摩字の軸、つまりプラスとマイナスの軸である。存在するものは、損減とともに増益の相がある。・・・

・・・現代人は多く、進歩の教義を信じるが、それは存在の増益を信じるものであろう。空海は、汙字と摩字の軸でもって、そういう存在論を論じようとしている。』

このような梅原先生の解説を読むと「吽字」は、横軸(X軸)を時間軸、縦軸(Y軸)をプラス、マイナスで表した何らかの量を表現した座標上の関数グラフがイメージできます。ここで阿字は時間軸をさかのぼり、それ以上さかのぼれないところの状態、『すべての存在をさかのぼってゆくと、もうそれ自身、さかのぼれない存在に到る。・・・仏教ではそれを不生(ふしょう)という。』と解説されています。

すなわち「吽字」は、存在の一切の現象のはじまりの状態から時間の経過にともなって変化し現在に至る過程を時系列的なグラフとして表現しているのでしょう。西暦820年頃、空海がこのような概念を考えたこと自体おどろきなのです。

一般に自然現象は、時系列のグラフによって表現される場合が、きわめて多いのです。

ここでグラフの表す表現的世界の内容が問題なのです。例えば、直線に近いものや簡単な曲線で変化するものは、凡人でもその先を予想することができます。容易に将来を判断できるような、日常のありふれた現象の表現では、「吽字」は「神秘の文字」ではないのです。日常の世界にあるきわめて簡単な言葉が、日常では予想できないような複雑で不規則な振る舞いを表現するからこそ「神秘的」なのです。簡単には予想ができないような、もっと複雑に変動する曲線を表現できないと、「秘密の言葉」の資格が得られないのです。

例えば波形の曲線にしても、時間軸のある特定の時間を出発点としたとき、その出発点での値(初期値)のわずかな差が、その後の時間の進行過程で、波の高さや周期が大きく変わるような現象でないと、面白くないのです。出発点の値のわずかな差が、その後の結末まで、わずかの差のままであるよりは、波瀾万丈に変化しないと、人生は面白くないのです。空海密教は現世肯定に近い仏教と書かれています。

1976年に、数理生物学者であるロバート・メイ(豪)は、きわめて簡単な漸化式 Xn+1 = A・Xn・(1-Xn) を用いて、係数A の値がある値を超えると、決定論的カオスが発生することを明らかにしました。この漸化式は生物の生存数の時系列的変化を表す式といわれています。ここではこの式の意味の考察はしませんが、この式が時間(n)の進行にともなって、どんな曲線でグラフに表現できるかを紹介します。

いま、横軸に時間 n の値をとり、n = 0〜80 とします。縦軸にXの値をとり 0〜1 の範囲とします。またA は 0を超える値で4以下に設定します。

ロジスティック グラフ

上記のグラフで、Aが1を超えると、時間経過にともないXは一定値に落ち着きます。Aが2を超えると、Xははじめは振動を続けますが、徐々に減衰し、やはり一定値に落ち着きます。Aが3を超えると、この振動は減衰せずにいつまでも続き、Aが3.5699を超えると、カオスとなるといわれています。ただし、この領域で全てがカオスになるのではなく、Aの値によっては規則的な振動になることもあり、カオスと秩序とが複雑に分布する領域なのです。

中段と下段のグラフは、A=3.9のときの初期値がX0=0.4とX0=0.400001とを比較したもので、n=15ごろまでは両者は一致してますが、それ以後は不規則になります。

このように複雑で不規則な世界が決定論的カオスであり、これを引き起こす簡単な漸化式は、空海のいう「秘密の言葉」に匹敵するのではないでしょうか。

悟りの境地としての阿字のカオスと吽字のカオス

私に悟りの境地について言及する資格はありませんが、鈴木大拙の言葉をお借りすると『一切の二分作用が起こる以前の内的自己に還れというのだ。・・・混沌とした未分化の場に到達する。』ことなのでしょう。このように悟りの境地としての根底には、無差別、無秩序、無分別などの言葉で説明されている世界があるようです。これは英語でいうカオス(chaos)に相当すると考えられます。「15.決定論的カオスによる覚醒」で考察しましたように「カオス」には二つの意味があります。@は天地創造以前の状態で、まさに「混沌」の言葉が似合うものです。Aは決定論的カオスで、現代の数学で定義される複雑で不規則、不安定な振舞いを示す現象です。

@Aとも「無秩序」の状態を意味しますが、@は宇宙創成以前、Aはこの現実の世界で起こる現象です。さて空海の密教思想に照らし合わせると、阿字は時間軸をさかのぼり、もうそれ以上さかのぼれない状態、すなわち一切の物質が存在しない状態ですので、まさに@のカオスに相当します。

一方、吽字は現実の時間の流れを包括するもので、すなわち五大などの物質が存在する状態、すなわち現世におけるAのカオスに対応すると思われます。

悟りの境地のよりどころとして、カオスの状態にたちかえるとき、どちらのカオスに視点を置くかで、その世界観が異なってくると思うのです。もし@のカオスに視点を置くのならば、現世否定、物質否定、言葉否定の思想になるのでしょう。逆にAのカオスに視点を置くとなると、現世肯定、物質肯定、言葉肯定の思想になるように思われます。

空海は現世肯定、物質肯定、言葉肯定に近い思想であると記されていますので、空海の頭脳はきわめて現代的であると考えられます。

もちろん、空海が決定論的カオスなど知るよしもないのですが、大自然を全身で感じて、心に響くものがあり、そこに新たな息吹の根源的なものを直観したと思います。すなわち現世の大自然の中にカオスを感じ取ったと思われます。

空海密教の魅力

「吽字義」についての梅原先生の解説をもう少しだけ断片的に引用させていただきます。

『・・・人が、どんな言葉を聞いても阿字の声を聞くように、・・・すべてのものの中に阿字がある。われわれの中にも阿字がある。とすれば、すべてのものの中にわれがあり、われの中にすべてのものがある。それが、世界が見えるということであり、最高の仏教の智慧であると空海はいう。・・・

・・それが理解しがたいのは、凡夫が妄想にとらわれているためであって、仏そのものがかくそうとしているわけではない。・・・

・・・そして、どこかに、自らの本質を明らかにするカギを隠しておく。そして、そのカギは、暗号のごとく存在している。・・・

・・・その意味で、それは密なるものである。この密なるものは自己自身をシンボリックな言葉で語ろうとする。そこに、密教の深い世界があり、そこにまた、密教の魅力があると私は思う。』

上記の引用の記述でもフラクタル(自己相似集合)に近い概念であり、空海の思想にはフラクタルに近い表現が多いのです。そしてこれを見つけ出す「カギ」が「秘密の言葉」すなわち真言や梵字であるということです。

多少我田引水になるかもしれませんが、この「カギ」をけんめいに見つけ出そうと悪戦苦闘しているのが、「華厳経の風景」なのです。空海の密教は大自然そのものなのです。この大自然はカオスという無限の宝を宿しています。

「秘密の言葉」(単純な数式)の反復・繰り返しから大自然にひそむカオスの美が生み出されるのです。

2008.2.22