「重重無尽」が行き着く世界

天才的な法蔵はうすうす洞察していたのではと思われる、合わせ鏡による多重反射によって誘発される世界。現代の虚空蔵菩薩であろう電脳は、これを容易に凡人に開示悟入(ごにゅう)する。

”序文”の次に記した”「華厳経の風景」のコンセプト”では、「重重無尽」=「フラクタル」としています。このことについて、少し言い訳をしますと、「フラクタル」というカタカナはかなり違和感があるように感じられますが、しかし日本語では「自己相似集合」とも呼ばれ、 「己によって全体が成り立ち、全体によって己が成り立つ世界」のことなのです。私のような凡人は、華厳の思想を少しばかりかじった時点で、あ、これは「フラクタル」だと独り合点した訳です。

当然これについての明確な検討と説明が必要なわけで、今回はこの反省にたって、少し詳細に考察します。

[1]「重重無尽」のいろいろな視点からの解釈

重重無尽は、字ずらからは重ね重ねが無限に続くことの意になります。ここで「重ねる」とは広辞苑によると、(1) 「物の上にさらに別の同じような物をのせる」、(2)「事の上に事を加える」、(2’)「くり返す」、(3) 「月日・年齢を積む」とあります。

この四つの意味を、華厳思想と自然科学の両方の観点に照らし合わせながら検討してみます。

(1)は「空間的な積み重ね」で、三重の塔とか五重の塔のようなイメージです。また箱などの容器を、大きなものから小さなものへ順次に重ねて組み入れる「入れ子」構造もこれに属します。文献(1)に華厳経の光景描写として紹介されている、次のような良寛の短歌もこれに相当します。

「あわ雪の中に立てたる三千大千(みちおおち)またその中にあわ雪ぞふる」

ここで三千大千とは一仏が慈悲を施す範囲の世界のことで、一仏国土とも言われています。

この入れ子構造は概念上では、その容器の内部に縮尺した相似形の容器を無限に格納することができることで、一塵の中に無限の世界をとじ込めることが可能なのです。

この入れ子構造は、フラクタルの典型的な一つです。

また音楽など音が重なり合って合成されるときの調和の法則に由来したと言われる次のような数列(調和数列)があります。

1,1/2,1/3,1/4,1/5,・・・・

振動数の異なる二つの音が響き合ったとき、その二つの音が融合してよく調和する協和音程の場合と、そうでない不協和音程の場合があります。ピタゴラス(紀元前570年頃)はいくつかの楽器を用いて実験を重ねた結果、二つの音の振動数の比が単純な整数比(分数)から成る場合に、調和(協和)することを発見したといわれています。

(2)は「加算」を意味するもので、これを無限に続けます。(1) での入れ子構造の例で、一番外側の容器を基準にすると内部に格納される容器の寸法は、順次小さくなっていきます。逆に一番内側の小さい容器を基準にすると、外側に向かうのに従い寸法は大きくなります。このように入れ子構造をその寸法で表現すると、数列で表されます。

華厳の「五教章」では「十銭を数える法」というのがあって、基準とする数(「本数」)からみて、「向上数」と「向下数(こうげすう)」順にその関係を検討するという記述があります文献(1)

いま最も小さい容器の寸法(例えばその直径をX1)を基準(初項)とし容器の増分をaとすると、 X1, X1+a, X1+2a, X1+3a, ・・・, X1+(n-1)a, ・・・ のように各項が前の項に増分aを加算しながら作られる数列, 即ち無限等差数列で表現できます。

以上のように「重ね重ねを無限に行うこと」を「数法」で表現すると「無限数列」で表せます。この数列はある法則に従っていますので、漸化式(ぜんかしき)でも与えられます。これは一般項Xnとその前後の項との関係を表す式で、普通 X(n+1)=f(Xn) のように表されます。上記の等差数列の場合の漸化式は、X(n+1)=Xn+a  (n=1,2,3,・・・)です。

位置や時間などの変化にともなうある量の変化を表す関数は、数式やグラフ、数表などで表現でき、数列もこれに属します。数列や漸化式については高校の「数学A」で学びます。

加算を繰り返して無限に作られる数列の中で、「六相円融義」や「事事無礙法界」の原理となるような、大変興味深い数列があります。それはフィボナッチ(イタリアの数学者、1174〜1245)が発見したという数列です。このフィボナッチ数列の漸化式は、X1=1, X2=1, X(n+2)=X(n+1)+Xn  (n=1,2,3,・・・)です。そしてこの数列は最終的にフラクタルと関連するのです。もし興味のある方は、 佐藤修一:「自然にひそむ数学」(ブルーバックスB-1201、講談社、1998年1月)を読んで下さい。

(2’)は「反復、回帰、循環」の意で、「反射」もこの分類に属します。

これは前回展示の「因陀羅網」の珠玉の多重反射のたとえそのもので、華厳の思想における重重無尽の主要な解釈のようです。いま珠玉の表面での光の反射の回数をnとし、n=1, 2, 3, 4,・・・ としたときの反射する光の位置(座標)を X1, X2, X3, X4,・・・ と表したとします。即ち光の反射の軌跡を順に座標で与えたことになりますが、これは「無限数列」です。実際は、光の反射する毎の反射位置(座標)は三次元空間ですが、ここでは簡単のために一次元で扱っています。

自然科学ではこのような反射を繰り返すシステムを「フィードバック(帰還)回路」と呼んでいます。そしてほとんどの電気機器の制御などに利用されています。

(3)は「時間的な積み重ね」で、この面から重重無尽を解釈します。

華厳経の修道論では、「初発心時、便(すなわ)ち正覚(しょうがく)を成(じょう)ず」とあり、初めて菩提心(悟りを求め仏道を行おうとする心)を発したら、すでに悟りを得た仏と同じ、と説かれています。すなわち「始めを得れば即ち終わりを得」、「一を得るに即ち一切を得る」なのです。文献(1)

すでに示した「無限数列」は、ある規則に従って順次変化するので「漸化式」でも表現でき、最初の時点の状態(初期値)を与えれば、その後ある一定の時間間隔ごとの その状態の変化を順に数字で表していくことができます。すなわち初めの状態(初項)がわかり、ある時点の項と次の時点の項との関係を表す式(漸化式)がわかれば、無限数列を定義でき、将来の状態が決定できるのです。

以上(1)、(2)、(2’)及び(3)で考察したように、「重重無尽」はいく重にも関係しあい、重なるごとに事物が変化していくさまを表現したものですが、これを数量的に表現するために、重なる順番にそのときの事物の変化を数量で順次表示する数列で置き換えて表現できます。そしてこの数列は隣り合ういくつかの項の間に「漸化式」が成り立つものとします。

なお、広辞苑には「重重」や「重重無尽」についても解釈がなされております。ここで「重重無尽」については、華厳思想の一般的な解釈ですが、「重重」については、 (1) 「いくつも重なるさま」(2)「いくつもの階段」とあります。(1)については上記で検討したそのものであり、ここでは(2)について少し考察します。 修道論での修行の道すじについて、唯識では修行の階位を、十住、十行、十廻向(えこう)、十地、仏の四十一位と定め、これにそって段階的に修行を行うそうです。即ち一歩一歩階段を登るように修行を成就していきます。数学では、ある量の変化を連続的でなく段階的(離散的)に表現する典型的な例が数列なのです。また漸化式の「漸化」は一歩一歩進化するという意味と思われます。

[2] 「決定論的プロセス」から生み出される「カオス」

漸化式 X(n+1)= f(Xn) では、その初期値 X1 の値がわかれば n=1,2,3,・・・と順次この式にあてはめていけば、X2, X3, X4,・・・の値が決定できます。このように最初の状態(初期値)が決まれば、その後の将来の状態が決定される過程を、「決定論的プロセス」と呼ばれています。これはまさに「始めを得れば即ち終わりを得る」「一を得るに即ち一切を得る」なのです。

ここで、関数 f(Xn) が比例関係で表せる場合は問題ないのですが、比例関係(線形)で表せない「非線形」の場合には、「カオス」と呼ばれる現象が発生する可能性があります。これは初期値 X1 のきわめてわずかの違いが、nを増加していったときの計算される X(n+1) の値に大きく影響しX1, X2, X3,・・・, X(n+1),・・・の数列の軌道が複雑で不規則になり、将来が予測不可能になる現象です。

以上、一変数 Xn すなわち一次元(直線上)での実数の列として説明をしてきましたが、これを複素数としますと複素平面上で軌道を図示できます。また二つの変数 X, Y を用いて連立漸化式で表現しますと、二次元平面上で軌道を図示できます。これらの軌道の描画は、「カオス」の状態での多くの場合、自己相似性をもった「フラクタル」的構造が現れます。フラクタル構造は事事無礙法界を暗示させるような顕著な秩序状態を示します。

この「非線形性」によって引き起こされる「カオス」や「フラクタル」の世界は、まだ未知の世界ですが、飛躍的な進化をもたらす可能性があり、創造の宝庫なのです。そして宇宙を含むあらゆる現実の世界のいたるところに存在することが確認されています。(文献2、文献3)

[3] 「重重無尽」の意義

以上検討したように、重重無尽を単に漸化式での決定論的プロセスと解釈すると、特に取りたてて驚嘆することではないのです。

しかし華厳経の内容からわかるとおり、カオスに近い発想なのが驚嘆に価するのです。すなわち法蔵が重重無尽を鏡の多重反射モデルで示したこと、蓮華蔵世界、事事無礙法界へ行き着くための原理として示したことが、驚きなのです。

当時中国では青銅鏡が盛んに作られるようになった頃ですが、その表面はかなり歪みが存在すると予想できます。その結果、合わせ鏡をしたときに同じものが無限にできることはなく、反射をくり返すごとにその写像は変容していき、最終的に何が現れるかは予想がつかないのです。これが「カオス」で、これを生み出す原因は、非線形な関係をつくる鏡の歪みなのです。そしてこれがフラクタル画像を作る一つの基本原理でもあり、「華厳経の風景」もこのようにして生まれたのです。

このことは、合わせ鏡の中央に一塵を置けば、鏡面の歪みぐあいによって、ありとあらゆる形が創造できる可能性を意味し、一塵から一切のものが映し出され、「一即一切」とか「一塵に宿る宇宙」など、容易に納得できる概念なのです。また「海印三昧」で、心が落ち着いて安らかな状態、あたかもゆったりとうねる(わずかなゆらぎが存在する)水面に、一切のものが映し出される三昧の世界も理解できそうです。

以上、 「重重無尽」>「無限数列」>「漸化式」>「非線形性」>「カオス」・「フラクタル」 という縁起の連鎖ができました。