「新しい趣味の創作」(3)

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今回はある一つの実験の報告です。

今まで展示した画像は、「華厳経の風景」をも含めて全てプログラミング以外は人間が関与しない、いわゆる電脳によって完全自動で生み出された作品でありますが、当然この手法にも限界がある訳です。

これを打破するための一つの試みとして、「いけ花」の手法を参考にします。「いけ花」はご存知のように、自然によって生み出された花を、人間が花器という器(うつわ)にアレンジしていけることで、自然という宇宙を床の間の空間に凝縮して表現することだろうと思います。

そこで電脳によって生み出された花を、単にそのまま作品とするのではなく、素材(部品)として用い、これを人間がアレンジして作品を完成することにすると、作品の表現能力を増大できるはずです。ただし電脳は人間の感性では考えられないようなユニークな構図を創発する可能性がありますので、この場合でも電脳による創発が主で、人間のアレンジは従となります。これは電脳の可能性を追求しているからです。これが「いけ花」と大きく異なるところです。

さて、上記の画像ですが、二つの対数螺旋をあらわした模様で、電脳で生み出されたものです。今回の実験では、これは一つの部品として用います。「いけ花」に対応させると花器に相当するものです。この画像を背景にして、電脳によって生み出された花を人間がアレンジし貼り付けて、作品を完成します。

渦については前回も取り上げましたが、とくに対数螺旋は、自然の形を構成する根源的な要素のように思われます。

ところでこの二つの螺旋の組合わせの構図の歴史は、きわめて古くギリシア神話にさかのぼります。前回と同じくトルコ旅行での写真で説明します。

上記の写真は、古代都市エフェソスのメミウスの碑の近くの道のわきに立っている大理石にきざまれた模様です。二匹の蛇が、尾のほうで互いに巻きつき、やがて螺旋を描いて向き合うような構図です。

たぶんヘルメスの杖、ラテン語のカドゥケウス(CADUCEUS)と呼ばれているものの一つではないかと推測しています。

これについて、平凡社の世界大百科辞典の説明の一部を引用しますと、カドゥケウスはギリシア語のカリュクス(「伝令」の意)から派生した語と思われ、ヘルメス神はこの杖を印として、冥界・地上界・天界の間を往復し、神々の相互の意志や、とくにゼウスの命令を伝える伝令の役割を果たしたとあります。すなわちヘルメスは情報伝達の神でもあるのです。

実は上記の画像は、ある学会誌の表紙のデザインとして採用されています。

2005-09-30
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今までの電脳が生み出した画像は、芸術的な意図(モチーフ)などは本来あり得ないもので、数多く生み出された画像から人間が選択するときに、何らかの意図のイメージに近いものを選ぶだけのことしかできません。

そこで一つの実験として、人間の何らかの意図の基に画像を加工することを試みました。すなわち最初の画像は、電脳が生み出した渦ですがこれに電脳が生み出した何らかの花を、人間の手でいけようとする「いけ花」的発想です。ただし私は芸術が専門ではないので、きわめて単純な思考での表現しかできません。

背景となる渦から連想されるのは嵐であり、ここに花を散りばめるとなると「花嵐」とか「花吹雪」となり、春の桜の花がイメージされます。

電脳が生み出した桜の花のイメージとして、今回は作業の手間を簡略にすることから、花弁を三角関数を用いた簡単な数式で表現しました。そして二次元平面の画像を三次元立体に変換した上に、この花弁を散りばめたのが上記の画像です。

CGの画像処理では、一般に用いられている高価な市販ソフトは用いず、全て手作りソフトなので、画像を二次元から三次元に変換する処理に多少幼稚なところがありますが、これはこれなりに風情があるかなと思っています。 花を散らす作業は手作業で行いますが、電脳に花の大きさと向きを適当に指示しながら、マウスによるドラッグ&ドロップで、背景の渦の螺旋に沿って花を貼り付けていくだけのことなのです。

今回の実験が成功か否かは、見る人にお任せしますが、いろいろ趣向を変えたこのような実験は、これからもたまには行いたいと思っています。

2005-10-26
(追記)

ご存じのように、桜の花が散るときには花びらの一枚一枚が散るのであって、花全体が散ることはなく、この画像を「花吹雪」と呼ぶのはふさわしくないかもしれません。この画像はあくまでも天空の竜巻のような気流の渦に桜の花を生けたものなのです。

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つれづれなるままに電脳がつくり出すカオスの世界をさまよって、まる6年になりますが、この神秘的世界はいまだ五里霧中です。進めば進むほど新しい風景が展開し、いつも「何でこんな画像が生まれるの?」の連続で、今年も終わりそうです。

2005-12-27
(追記)

花びらの形が多くの螺旋の重ね合わせで形成されることを前回に記しましたが、この彼岸花のような形状は、多くの螺旋そのものなのです。

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花の幻想

単純な式の定数をわずかに変化させるだけで、 電脳の画面は千変万化の様相を呈し、 時として花の幻想が浮かび上がります。これは初期値のわずかな違いが、 演算の無限の繰り返しの過程でどんどん拡大し、予想もできない複雑な変容を生み出すのです。あたかも蝶の羽ばたきによって、 一面のお花畑が出現するカオスの世界の不思議です。

2006-03-31
(追記)

この画像のように大きな二つの花の間を帯状に小さな花の群れが連なるパターンもよく現れるタイプで、これらも自己相似性を有しています。

「新しい趣味の創作」のあゆみ(2)

今年のほぼ一年間は、「華厳経の風景」のほうに興味が集中してしまい、「新しい趣味の創作」のほうはおろそかになってしまいました。この結果「華厳経の風景」はどうにか八分通り見通しがつきました。

そこで今後は「新しい趣味の創作」のほうを少しでも進展させるための新たな計画を立て、進めていきたいと思います。

そもそも最初の計画では、そう簡単には花を見つけることはできないと思っていましたのが、意外にも容易に電脳から次から次へと花が生まれてしまい、少し調子を狂わした感があります。即ち最初に計画していた、「いけ花」や「俳句」の観点からの考察がほとんどできませんでした。見つけた花を単に数多く羅列しても、あまり意味がありません。

そこで初心にかえって、着実に歩みながら進めていこうと思います。まずは電脳から生まれた花をもう少し有効に生かす方法を考えます。そのためには、茎・枝や葉を添えて、完全な花にしたいものです。こうすると花はより引き立ちますし、花材として花器に生けることも可能です。これは「自然の美」を電脳空間から生み出すための初期の作業でもあるのです。

ここで茎・枝や葉もフラクタルとして電脳から生み出さないとおもしろくありません。そこで今後はしばらくの間、花を生み出すのはやめて、茎・枝や葉を電脳で生み出すことを考えます。これには二つの手法があり、今までの花と同様、枝振(えだぶ)りや葉振(はぶ)りのよい枝や葉を電脳の数学的領域から手探りで見つける方法と、フラクタルの技術として種々の植物の分岐パターンなどの既に検討されている手法を利用することです。

まずはこれら二つの手法を平行して進めていく予定です。

2006-12-04
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花のイメージ以外の何かを見付けだそうと、そのための色メガネ(フィルター)を試作するのに、いろいろと試行錯誤をくり返し苦労しています。ここで最近やっと見付けたのが上記の画像です。これは最も良く知られているマンデルブロー集合(「華厳経の風景」のエピソード12「彼岸/マンデルブロー集合」を参照)のある一領域の近傍で見付けたもので、「マンデルブロー高原の夏」と命名します。

今まで電脳で花のイメージを生み出すときは、あらかじめ虹の七色を電脳に適当な順番で設定したものを用います。そしてほとんどの場合、電脳がこの順番で配色しても、特に花のイメージとしては違和感はなく、このまま採用していました。

しかし今回のような風景では、これは無理で、配色に関しては私の作為が加えられています。すなわち、近景の樹木は緑色の濃淡と黄色の七色、中・遠景の樹木と山、そして空を含めて七色の計十四色で、それらしい雰囲気に合わせて配色しています。

2007-08-05
(追記)

この画像は、多少こじつけがましいところがあって、ここまでやる意味(必要性)はなく、失敗作といえるでしょう。

当時は、電脳で、数学的カオスを適当に分節することで、何が現れるかの実験でもあった訳で、これも一つの勉強でもあったのです。そして、花が次から次へと現れることに、有頂天になっていた時期でもあったのです。

この失敗作(2007-08-05)を最後に、この「新しい趣味の創作」は途切れることになるのです。

もともとフラクタル幾何学で、何でも表現できるという訳ではなく、当然限界はあるはずです。次回からは、このような問題点を整理して、電脳とコラボするからには、電脳でしか不可能な領域についてのみ、追求していきたいと思っています。

以上の追記は、2012.11.4