新しい趣味の創作を目標にして、電脳の世界を美しい草花を求めてさまよい歩いていますが、少しずつその手がかりをつかむことができ、やっと見通しが立ちそうです。
その一つは、仏教思想における花園の世界の探訪です。 現在私がさまよっている領域は「華厳経」に記述されている世界、今風には複雑系の領域なのです。この領域を今後さらに詳細に探査することにより、華厳経に記述されている花園の世界のイメージをCGとして再現できるのではないかという、大胆な計画です。 このテーマについての進捗状況は、「華厳経の風景」というテーマで報告します。
他の一つは、日本の伝統的かつ代表的な趣味である「いけ花」や「俳句」を、電脳によって生み出される花園の世界からの視点で見つめ直すことです。
いけ花は、花形のような基本パターンを用い、俳句は5,7,5文字のキーワードを用い、いずれも簡単な基本パターンによって無限の世界を表現できることです。すなわちこれらに接したとき、心の中にある特定の美しいイメージの世界を思い起こすことができるのです。
「電脳の世界をさまよう」ということは、草花をも含めた人間の感性に訴えるような美しいイメージを具体的な画像として発現させるために必要な何らかの基本パターンを、電脳がつくり出した画像を見ながら試行錯誤で見つけ出す作業をいいます。これは人間の感性と電脳とがかなり密接に協調することを意味します。
いけ花や俳句では古来から「虚」すなわち「虚空」を重視しています。大自然に育まれた心の中での試行錯誤で、誰も気づかなかった新しい基本パターンを偶発的に発見するのでしょう。
人間の感性が加わった電脳の仮想空間は、まさに「虚空」の最新版なのです。
この最新版虚空の観点からいけ花や俳句を見つめ直すことで、「電脳の世界をさまよう」ための手法に何か新しい進展があるのではと期待しています。これも大胆な計画です。
これらの計画の成否は、私(寅年)の守り本尊である虚空蔵菩薩のご加護に依存します。
華厳経に記述されている世界とは、「重重無尽」の縁起による一切が関係性のみによって成立する世界で、自己相似集合の世界であり、フラクタルCGで再現できるのでした。
そして、これは簡単な基本パターンによって無限の世界を表現することが可能なのです。このような自己相似集合図形の世界が、人間の古代からの記憶の断片が蓄積されている深層意識に、より感応するのではないかという実験や考察が今まで延々となされた訳です。
「生け花」にしろ「俳句」にしろ、日常の表層意識では容易に気が付かない世界の新たな「発見」なのであり、深層意識の感応を重視した、無「本質」的分節に相当するものなのです。
「新しい趣味の創作」とは、深層意識に感応する何かを、電脳(虚空蔵菩薩)の助けを借りて「発見」しようとする趣向なのです。
この画像は画像−1(「新しい趣味の創作」(1)の最初の画像)と同じタイプです。これを花というかどうかは、異論があるかもしれませんが、花ということで画像の模様の特徴を説明します。
この画像は、電脳が生み出した全体の像の内の花の部分を切り取った図です。この画面全体すなわち花の部分の模様について観察しますと、花は一つではなく、中央に大きな花があり、その回りに小さい花があり、この小さい花の回りにさらに小さい花があるというパターンで構成されています。
回りに存在する小さい花の群れに注目しますと、画面全体の模様をそれぞれ縮尺して、向きを少し変えたものに形がよく似ています。同様に、あらためて中央の大きな花を見ますと、見た感じでは、縮尺をして向きを少しずつ変えながら、重ね合わせたかのような入れ子構造をしています。
全体を構成する部分と全体とが相似であるような図形を、自己相似集合といいフラクタル構造の特徴です。ただこの画像のように、花の部分だけが相似に近いだけの構造は、多様な複雑さを持つフラクタルという意味で、マルチフラクタルと呼ばれています。
6月は新しく立ち上げたホームページ「華厳経の風景」のほうに傾注してましたので、ここでの報告は休みました。7月の報告はこの画像で、菊かコスモスの花によく似た模様です。
いずれもキク科の植物で、菊はその形から太陽にたとえられ、コスモスは宇宙という意味があり、「華厳経の風景」で取り上げる可能性もありますが、ここでは別の話題として話を進めます。
菊は平安時代に中国から渡来したといわれ、中国では四君子(梅、竹、蘭、菊)の一つとして、代表的な花のようです。
日本では、とくに後鳥羽天皇(1180−1239)が、菊花紋を日常品にまで付けるほど愛着をもっていたとのことで、明治二年に菊花は皇室の紋章として制定され、一般の人の使用は禁止されています。
ここで注目するのは、菊花を紋様としてデザインしたときの花びら(花弁)に相当する部分の数です。
皇室の正式な菊紋は、花びらの数は16枚です。表示した画像からわかるように電脳が生み出した花びらも16枚です。
ところで7月のはじめにトルコに旅をしたのですが、イスタンブールで1616年に完成されたというブルーモスクの本堂(51m*53m)の中央に位置する大ドームの天井(高さ43m、直径23.5m)の模様は、驚嘆に価いします。これを下から撮影した写真を表示していますが、これからわかるように、花びらに相当する部分は16枚です。
私は、これらは全くの偶然ではないと思っています。トルコ−中国−日本は、古くからシルクロードを介してつながっているのです。菊紋よりさらに古いのが蓮華紋で、古代エジプトの円形花紋であるロータス(Lotus)は睡蓮の花を図案化したといわれています。蓮華紋は単弁で普通8枚なのですが、複弁になるとその倍の16枚になります。例えば日本では7世紀後半から奈良時代を通じて、複弁八葉蓮華紋が軒丸瓦(のきまるがわら)の主流になっています。これは菊紋によく似ています。
自然の花を図案化した現存する多くの花紋は、自然の中で長期間育まれた人間の感性によって、自然の造形物を手本として直観的にデザインされたもので、かつ長い歴史の間に多くの人の共感を得て選別された作品です。
一方私の作業、少し詳細には、複素力学系の理論に属するさまざまな集合を電脳によって画像として生み出すことですが、この作品の中に上記のように人間が創作した作品にきわめて近いものが存在することは、大変喜ばしい発見であり、私の作業が無意味なものでないことを実証するものだと思っています。
つれづれなるままに、電脳の力を借りて、きれいな花が生み出される数学的なカオスの領域を探査してますが、少しずつその要領がわかってきました。花の存在する場所は、多くの渦すなわち螺旋(らせん)が生成されるところなのです。螺旋は花びらを造形する基本要素で、二つの螺旋で囲まれた部分が一片の花びらになるのです。
ただしカオスの領域なので、それぞれの螺旋はかなり歪んだ形となり、一様ではありません。それ故いろいろな花びらが形成されるのです。
画像は、螺旋の数が比較的少なく、かつその歪み具合も少ない場合、すなわち最も単純な花びらの一例です。この画像をもう少しわかりやすく説明するための、格好の見本が現実の世界にありました。
前回でも取り上げましたトルコ旅行での収穫です。場所はエフェソスとパムッカレの中間に位置するアフロディスィアスのアフロディーテ神殿の遺跡です。これはローマ帝国全盛時代(1〜2世紀)に造られたもので、螺旋状の溝がつけられた大理石の円柱が並んだ門が、広々とした草原にぽつんとありました。この草原の歩道の片隅に無造作に放置された大理石の一片が写真です。
花をデザインした花紋としては、かなり古いものに属すると思われますが、ここでの注目は、彫られている花の模様が、全て円で構成された幾何学模様であることです。すなわち写真と画像とは、円と歪んだ螺旋との違いはあるものの、ほとんど同じ構造なのです。人間の頭脳は電脳よりはるかにすごかったのです!
これが電脳で花を生み出す基本原理です。私の作業は人間の頭脳では簡単には想像できそうにない、いろいろなパターンの渦が発生する場所を、数学的なカオスの領域で探査をしているのです。
以上の花の模様の例のように、電脳によって形成される花の模様は、幾重にも螺旋を重ね合わせて形成されるのです。すなわちいろいろな花を見つけるには、適用する関数で渦巻きが発生する場所を探せばよいのです。
ただし、「花」といっても無「本質」的分節であるからには、「花」という「本質」に拘束されない「花に似たようなもの」という意味です。表示した大理石の写真に描かれたデザインもまさに無「本質」的分節そのものなのです。